最可疑的人是建武……
【建武】 けんむ
南北朝時代、南朝の後醍醐天皇の時の年号。1334年1月29日~1336年2月29日。北朝では光明天皇のときの年号。1334年1月29日~1338年8月28日。
【建武以来追加】 けんむいらいついか
室町幕府の法令集。室町幕府は御成敗式目を基本法としたが、建武式目ののち、必要に応じて法令を追加した。
【建武式目】 けんむ‐しきもく
延元元年=建武3年(1336)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が示した室町幕府の政治要綱。17か条からなる。中原是円・真恵らに諮問して政治方針をまとめさせたもの。
【建武年間記】 けんむねんかんき
室町初期の記録書。1巻。著者・成立年未詳。建武政府が発布した法令や、建武政権下の世相を風刺した「二条河原の落書」などを収める。建武記。
【建武年中行事】 けんむねんじゅうぎょうじ
南北朝時代の有職故実書。3巻。後醍醐天皇撰。建武元年(1334)成立。朝廷における年中行事を記した書。秘記。御抄。
【建武の中興】 けんむ‐の‐ちゅうこう
元弘3年=正慶2年(1333)、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して京都に還幸し、天皇親政を復活したこと。翌年建武と改元して公家一統の政治を図ったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)の離反にあい、2年半で崩壊、天皇は吉野に移って南北朝時代となる。建武の新政。
【宮武】 みやたけ
姓氏の一。
【武烈天皇】 ぶれつ‐てんのう
記紀で、第25代の天皇。仁賢天皇の皇子。名は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかさざき)。日本書紀では凶暴な天皇として描かれている。
【日本武尊/倭建命】 やまとたける‐の‐みこと
記紀伝説上の英雄。景行天皇の皇子。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)、東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれ、風土記なども含めてさまざまな伝説が残っている。小碓命(おうすのみこと)。
【桓武平氏】 かんむ‐へいし
桓武天皇の子孫で、平(たいら)の姓を賜った家系。中でも葛原(かつらばら)親王の孫高望王(たかもちおう)の流れが有名で、伊勢平氏や北条氏・畠山・千葉・三浦・梶原などの諸氏を輩出。
【古武弥四郎】 こたけ‐やしろう
[1879~1968]医学者。岡山の生まれ。ドイツに留学。大阪大教授。必須アミノ酸のトリプトファンの中間代謝を研究。日本の生化学の基礎を築いた。
【天武天皇】 てんむ‐てんのう
[?~686]第40代の天皇。在位673~86。舒明天皇の第3皇子。名は大海人(おおあま)。母は皇極(斉明)天皇。兄の天智天皇の子の大友皇子が太政大臣になると皇太子の地位を去り、吉野に隠退。天智天皇没後、皇子を争って大友皇子を打倒(壬申の乱)。乱後、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位。八色(やくさ)の姓(かばね)の制定や国史の編纂(へんさん)などにより律令体制を整備した。
【聖武天皇】 しょうむ‐てんのう
[701~756]第45代天皇。在位724~49。文武天皇の第1皇子。名は首(おびと)。藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘光明子を皇后とした。仏教を保護し、東大寺のほかに、諸国に国分寺・国分尼寺を建立。遺品は正倉院御物として現存。
【桓武天皇】 かんむ‐てんのう
[737~806]第50代天皇。在位、781~806。光仁天皇の第1皇子。諱は山部。長岡京・平安京への遷都、蝦夷(えぞ)征討、最澄・空海の登用による平安仏教の確立、地方政治振興など内政面の業績が多い。柏原天皇。
【藤島武二】 ふじしま‐たけじ
[1867~1943]洋画家。鹿児島の生まれ。初め日本画、のち洋画を学び、東洋的人物画の完成に努め、晩年は日本的風景画の作品を描いた。白馬会創立会員。文化勲章受章。
【藤原武智麻呂】 ふじわら‐の‐むちまろ
[680~737]奈良初期の公卿。不比等(ふひと)の長男。南家の祖。大納言・右大臣などを経て左大臣になったが、疫病で死亡。
【田部武雄】 たべ‐たけお
[1906~1945]野球選手。広島の生まれ。明大で活躍後、大日本東京野球倶楽部(クラブ)(巨人の前身)に参加。昭和10年(1935)の米国遠征では109試合で105盗塁の活躍をするが、のち巨人の内紛により退団。プロ公式戦の記録は存在しない。沖縄で戦死。
【武井武雄】 たけい‐たけお
[1894~1983]童画家・版画家。長野の生まれ。「童画」という名称の創始者で、初期童画界の代表者の一人。
【河合武雄】 かわい‐たけお
[1877~1942]新派俳優。東京の生まれ。本名、内山武次郎。女形として活躍し、美貌とはでな芸風で人気を集めた。
【神崎武雄】 かんざき‐たけお
[1906~1944]小説家。福岡の生まれ。新聞社に勤務した後、同時代を描いた大衆小説を執筆。「寛容」およびその他の作品で直木賞受賞。昭和19年(1944)、従軍中に戦死した。
【松浦武四郎】 まつうら‐たけしろう
[1818~1888]江戸末期の探検家。伊勢の人。名は弘(ひろむ)。幼時より諸国を巡歴し、特に蝦夷(えぞ)地に関心を持ち、しばしば訪れて多数の紀行文や地図を残した。著「蝦夷日誌」など。
【三木武夫】 みき‐たけお
[1907~1988]政治家。徳島の生まれ。昭和12年(1937)以来衆議院議員に連続当選。保守傍流ながら、金脈問題で退陣した田中角栄首相のあとを受けて同49年組閣、ロッキード事件の真相糾明を掲げたが、自民党内右派の反発で退陣。→福田赳夫
【三木武吉】 みき‐ぶきち
[1884~1956]政治家。香川の生まれ。衆議院議員を長く勤め、第二次大戦後は日本自由党の結成に参画。日本民主党を結成し、鳩山内閣の実現に尽力。のち、自由民主党の結成を推進。
【宮武外骨】 みやたけ‐がいこつ
[1867~1955]ジャーナリスト・文化史家。香川の生まれ。本名、亀四郎。大阪で「滑稽新聞」を発行、風俗史・政治裏面史で多数の著作を残した。東大の明治新聞雑誌文庫主任として同文庫の充実に尽力。著「筆禍史」など。
【宮武三郎】 みやたけ‐さぶろう
[1907~1956]プロ野球選手・評論家。香川の生まれ。昭和11年(1936)阪急(オリックスの前身)の創立に際し、29歳で入団。3年間の選手生活を経て、引退後は野球評論家となった。
【武藤山治】 むとう‐さんじ
[1867~1934]実業家・政治家。愛知の生まれ。鐘淵紡績社長。のち、政界浄化を志して実業同志会を組織し、衆議院議員となる。「時事新報」社長。政界革新を主張し、暗殺された。
【武者小路実篤】 むしゃのこうじ‐さねあつ
[1885~1976]小説家・劇作家。東京の生まれ。トルストイに傾倒し、志賀直哉らと雑誌「白樺」を創刊。のち人道主義の実践場として「新しき村」を建設。文化勲章受章。小説「お目出たき人」「幸福者」「友情」「真理先生」、戯曲「人間万歳」など。
【神田乃武】 かんだ‐ないぶ
[1857~1923]英語学者・教育者。江戸の生まれ。日本の英語学の発達に尽力し、辞書・教科書を著した。正則予備校の創立者。貴族院議員。
【武蔵山武】 むさしやま‐たけし
[1909~1969]力士。第33代横綱。神奈川県出身。本名、横山武。優勝1回。→第32代横綱玉錦 →第34代横綱男女ノ川(みなのがわ)
【武蔵丸光洋】 むさしまる‐こうよう
[1971~]力士。第67代横綱。米国ハワイ州出身。生まれは米国領サモア。英語名、フィヤマル‐ペニタニ。幕内49場所連続勝ち越しを記録。平成 8年(1996)日本国籍を取得。同15年引退。優勝12回。→第66代横綱若乃花 →第68代横綱朝青龍(あさしょうりゅう)
【武蔵坊弁慶】 むさしぼう‐べんけい = 【弁慶/辨慶】 べんけい
[?~1189]鎌倉初期の僧。幼名、鬼若。号、武蔵坊(むさしぼう)。義経記・吾妻鏡・平家物語などによれば、熊野の別当の子で、兄頼朝と不和になり奥州に落ちる源義経に従い、安宅(あたか)の関での難を救い、衣川の戦で全身に矢を受けて立ちながら息絶えたと伝えられる。能・歌舞伎・浄瑠璃などに英雄豪傑として描かれる。
【宮本武蔵】 みやもと‐むさし
[1584ころ~1645]江戸初期の剣術家。播磨(はりま)あるいは美作(みまさか)の人。名は玄信。号、二天。剣の修行のため諸国を巡り、二刀流を編み出し、二天流と称した。佐々木巌流との試合に勝ち、晩年は一時熊本藩主細川家に仕えた。水墨画にも長じた。著「五輪書」。
【小田野直武】 おだの‐なおたけ
[1749~1780]江戸中期の洋風画家。秋田藩士。平賀源内に西洋画法を学び、のち江戸で活躍。「解体新書」の挿絵を描いた。
【岡田武松】 おかだ‐たけまつ
[1874~1956]気象学者。千葉の生まれ。長く中央気象台長を務め、日本の気象観測制度を確立。文化勲章受章。著「日本気候論」など。
【芥田武夫】 あくた‐たけお
[1903~1987]野球選手・監督。兵庫の生まれ。早大野球部で活躍。卒業後、満鉄に入社し、都市対抗野球で優勝。のち朝日新聞社に入り、戦後、全国中等学校野球連盟(高野連の前身)の結成に貢献。近鉄パールス(オリックスの前身)の監督も務めた。
【荒木田守武】 あらきだ‐もりたけ = 【守武】 もりたけ
[1473~1549]室町後期の連歌・俳諧師。伊勢内宮の神官。宗祇(そうぎ)、猪苗代兼載(いなわしろけんさい)に連歌を学び、連歌から俳諧を独立させる基を作った。著「俳諧独吟百韻」「守武千句」など。
【有島武郎】 ありしま‐たけお
[1878~1923]小説家。東京の生まれ。有島生馬・里見T5F34.gifの兄。「白樺」の創刊に参加。大正12年(1923)「宣言一つ」に自己の立場を表明したのち、愛人と情死。作「或る女」「生れ出づる悩み」「カインの末裔」「惜みなく愛は奪ふ」など。
【飯田武郷】 いいだ‐たけさと
[1827~1900]幕末・明治の国学者。信濃国高島藩士。平田篤胤(ひらたあつたね)没後その門に入り、尊王運動にも参加。著「日本書紀通釈」など。
【色川武大】 いろかわ‐たけひろ/ぶだい
[1929~1989]小説家。東京の生まれ。阿佐田(あさだ)哲也のペンネームで麻雀小説を執筆。その後、本名で発表した「離婚」で直木賞受賞。純文学と娯楽文学の両方を手がけて「戦後無頼派」と評された。他に「怪しい来客簿」「百」「狂人日記」など。
【卜部季武】 うらべ‐の‐すえたけ
[950~1022]平安中期の武士。通称、六郎。源頼光の四天王の一人。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)征伐で有名。
【榎本武揚】 えのもと‐たけあき
[1836~1908]政治家。通称釜次郎。江戸の人。オランダに留学。帰国後、幕府の海軍奉行となる。戊辰(ぼしん)戦争では箱館の五稜郭(ごりょうかく)にこもり、政府軍と交戦するが降伏。特赦され、北海道開拓使となる。のち、ロシアとの間で樺太(からふと)・千島交換条約を締結。文部・外務などの各大臣を歴任。
【阿武松緑之助】 おうのまつ‐みどりのすけ
[1791~1852]江戸後期の力士。第6代横綱。能登(のと)の人。本名、佐々木長吉。優勝5回。→第5代横綱小野川 →第7代横綱稲妻
【文武天皇】 もんむ‐てんのう
[683~707]第42代天皇。在位697~707。草壁皇子の王子で、母は元明天皇。名は珂瑠(かる)。大宝律令を制定、施行。
【菊池武重】 きくち‐たけしげ
[?~1341]南北朝時代の武将。肥後の人。武時の長男。肥後守。足利尊氏(あしかがたかうじ)が建武政府に反したとき、新田義貞に従って箱根で奮戦。のち、九州に帰り、南朝軍の中心として戦った。
【菊池武時】 きくち‐たけとき
[?~1333]鎌倉末期の武将。肥後の人。後醍醐天皇の隠岐(おき)脱出に呼応し、博多の鎮西探題(ちんぜいたんだい)北条英時(ほうじょうひでとき)を攻めたが、少弐貞経(しょうにさだつね)・大友貞宗の離反により敗死した。
【菊池武朝】 きくち‐たけとも
[1363~1407]南北朝時代の武将。肥後の人。武光の孫。初名、武興。征西将軍良成親王を立てて今川了俊と各地で戦い、南朝勢力の回復に努めたが、のち、衰退した。
【菊池武光】 きくち‐たけみつ
[?~1373]南北朝時代の武将。肥後の人。武時の子。征西将軍懐良(かねなが)親王を迎え、少弐頼尚(しょうによりひさ)・少弐頼国を破って大宰府を占領したが、のち、九州探題今川了俊に圧迫されて衰えた。
【北原武夫】 きたはら‐たけお
[1907~1973]小説家。神奈川の生まれ。宇野千代と結婚、スタイル社を創業するが、のちに離婚。著書に小説「妻」「桜ホテル」「情人(じょうにん)」、評論「告白的女性論」など。
【清原武則】 きよはら‐の‐たけのり
平安後期の武将。出羽の俘囚(ふしゅう)の長。前九年の役で、安倍貞任・宗任討伐に苦しむ源頼義・義家を助けて活躍。鎮守府将軍に任じられた。以後、陸奥・出羽に勢力を得る。生没年未詳。
【清原武衡】 きよはら‐の‐たけひら
[?~1087]平安後期の武将。武則の子。後三年の役で、家衡とともに清衡・源義家の軍と争い、金沢柵で敗れ、殺された。
【九条武子】 くじょう‐たけこ
[1887~1928]歌人。京都の生まれ。西本願寺の大谷光尊の次女。佐佐木信綱に学び、歌集に「金鈴」「白孔雀」などがある。
【久米邦武】 くめ‐くにたけ
[1839~1931]歴史学者。佐賀の生まれ。岩倉具視に従って欧米を視察。古代史の科学的研究に努めた。論文「神道は祭天の古俗」が神道家から攻撃されて東大教授を辞職。著「米欧回覧実記」「古文書学講義」など。
【倉石武四郎】 くらいし‐たけしろう
[1897~1975]中国語学者。新潟の生まれ。京大・東大教授。中国語の研究・教育に新しい方向を与えた。著「中国語五十年」「漢字の運命」など。
【桑原武夫】 くわばら‐たけお
[1904~1988]仏文学者・評論家。福井の生まれ。隲蔵(じつぞう)の子。西欧的知性や近代的精神に基づいた評論が多く、京都大学人文科学研究所の学際的な共同研究を推進した。文化勲章受章。著「第二芸術‐現代俳句について」「文学入門」など。
【鹿野武左衛門】 しかの‐ぶざえもん
[1649~1699]江戸前期の落語家。大坂の人。通称、安次郎。江戸へ出て、仕方噺(しかたばなし)で人気を博し、江戸落語の祖とされた。著「鹿の巻筆」「鹿野武左衛門口伝咄」など。
【神武】 じんむ
神武天皇のこと。
【神武天皇】 じんむ‐てんのう
記紀で、第1代の天皇。名は神日本磐余彦(かんやまといわれびこ)。日向(ひゅうが)を出て瀬戸内海を東へ進み、大和を平定して前660年橿原宮(かしはらのみや)で即位したと伝えられる。
【神武紀元】 じんむ‐きげん
神武天皇が即位したという年を元年とする日本の紀元。西暦紀元前660年を神武紀元元年とする。皇紀。
【神武此の方】 じんむ‐このかた
[連語]日本の国が始まって以来。程度のはなはだしいことや、他に例がないことなどを表す。神武以来。神武以往。「―聞いたこともない好景気」
【神武寺】 じんむ‐じ
神奈川県逗子(ずし)市にある天台宗の寺。山号は医王山。神亀年間(724~729)行基の創建と伝える。中興は円仁。源氏3代の信仰を集めた。
【神武天皇祭】 じんむてんのう‐さい
もと、大祭日の一。毎年、神武天皇崩御の日とされる4月3日に、皇霊殿で天皇がその霊を祭る。神武祭。
【武島羽衣】 たけしま‐はごろも
[1872~1967]歌人・詩人・国文学者。東京の生まれ。本名、又次郎。古典主義的な美文・韻文で知られ、「花」「天然の美」は広く愛唱されている。共著「美文韻文花紅葉」など。
【武田勝頼】 たけだ‐かつより
[1546~1582]戦国時代の武将。信玄の子。父の没後、その領国を継いで織田・徳川と対立。長篠(ながしの)の戦いに大敗。織田信長に攻められて天目山麓で自刃。
【武田耕雲斎】 たけだ‐こううんさい
[1803~1865]江戸末期の勤王家。水戸藩士。名は正生。徳川斉昭(とくがわなりあき)に仕え、家老。尊攘派の筑波山挙兵を助け、天狗(てんぐ)党の首領となり、同志を率いて上洛の途中、加賀藩に降伏。敦賀(つるが)で斬首された。
【武田信玄】 たけだ‐しんげん
[1521~1573]戦国時代の武将。名は晴信。信玄は法名。父信虎を廃して甲斐(かい)の守護となり、信濃一円を制し、上杉謙信と対立、数度に及び川中島で合戦。のち、京都進出を企てて三方ヶ原で徳川家康を破り、三河に入ったが、陣中で病死。「信玄家法」の制定、信玄堤の名で知られる治水工事など、領国経営にも尽くした。
【武田泰淳】 たけだ‐たいじゅん
[1912~1976]小説家。東京の生まれ。「蝮(まむし)のすゑ」などによって戦後派作家として注目され、以後、現実の社会問題と取り組んだ作品が多い。小説「風媒花」「ひかりごけ」「森と湖のまつり」「富士」、評伝「司馬遷」など。
【武田孟】 たけだ‐つとむ
[1896~1990]教育者・野球指導者。広島の生まれ。昭和27年(1952)明大の野球部長となり、33年同大学長。のち全日本大学野球連盟会長、日本学生野球協会会長を歴任。学生野球の発展に尽力した。
【武田祐吉】 たけだ‐ゆうきち
[1886~1958]国文学者。東京の生まれ。厳密な文献学的方法に基づいて万葉集などの上代文学を研究、多くの校訂や考証を行った。著「上代国文学の研究」など。
【武田麟太郎】 たけだ‐りんたろう
[1904~1946]小説家。大阪の生まれ。新感覚派的手法による小説「暴力」で作家として出発、のち市井(しせい)の庶民の生態を描いた「日本三文オペラ」などを発表。雑誌「人民文庫」を主宰。ほかに「銀座八丁」「一の酉(とり)」「井原西鶴」など。
【武市瑞山】 たけち‐ずいざん
[1829~1865]幕末の尊攘派志士。土佐の人。通称、半平太。郷士の子で、土佐勤王党を組織。吉田東洋らの佐幕開国論に対抗。東洋を暗殺し、一時藩論を尊攘に導いたが、藩主山内容堂に入れられず、切腹を命じられた。
【武野紹鴎】 たけの‐じょうおう
[1502~1555]室町後期の富商・茶人。堺の人。号、一閑居士・大黒庵。歌学を三条西実隆に学ぶ。茶の湯では村田珠光の孫弟子にあたり、佗(わ)びの境地を確立、千利休・津田宗及・今井宗久らの門弟を養成した。
【武信由太郎】 たけのぶ‐よしたろう
[1863~1930]英語学者。鳥取の生まれ。英字新聞「ジャパンタイムズ」「英語青年」を創刊。海外への日本紹介に努めた。著「武信和英大辞典」。
【武渟川別命/建沼河別命】 たけぬなかわわけ‐の‐みこと
孝元天皇の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御子。日本書紀によれば崇神天皇の四道将軍の一人と伝えられる。阿部臣(あべのおみ)らの祖。
【武内宿禰】 たけのうち‐の‐すくね
記紀所伝の人物。大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に二百数十年仕えたという。蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖とされる。たけのうちのすくね。
【福永武彦】 ふくなが‐たけひこ
[1918~1979]小説家。福岡の生まれ。加田伶太郎の筆名で推理小説も執筆。小説「風土」「海市」「死の島」など。
【盧武鉉】 ノ‐ムヒョン
[1946~ ]韓国の第16代大統領。慶尚南道出身。弁護士。1988年国会議員に初当選。2000年海洋水産部長(大臣)。02年インターネットを通じた市民運動に支持されて大統領選挙に勝利し、翌年2月に就任。北朝鮮に融和的な政策を進める。
【林武】 はやし‐たけし
[1896~1975]洋画家。東京の生まれ。本名、武臣(たけおみ)。独立美術協会の設立に参加。フォービスムを基調として、重厚なマチエール、明確な構図の具象画を描いた。文化勲章受章。
【広瀬武夫】 ひろせ‐たけお
[1868~1904]軍人。海軍中佐。大分の生まれ。日露戦争中、旅順港閉鎖にあたり、自沈船の福井丸を指揮し、行方不明の杉野孫七兵曹長を退避の最後まで捜すうち、ボート上で被弾戦死。軍神とうたわれた。
【徳川宗武】 とくがわ‐むねたけ = 【田安宗武】 たやす‐むねたけ
[1715~1771]江戸中期の国学者・歌人。徳川吉宗の子。田安家を興す。荷田在満(かだのありまろ)・賀茂真淵(かものまぶち)を召し抱えて国学を学ぶ。万葉調の歌人としても有名。著「歌体約言」「天降言(あもりごと)」など。
【中野武二】 なかの‐たけじ
[1884~1947]野球選手・審判。東京の生まれ。一高主将として活躍したのち、同校のコーチとなる。公正な審判員としても評価され、早慶戦や国際試合で主審を務めた。
【中村武羅夫】 なかむら‐むらお
[1886~1949]小説家・評論家。北海道の生まれ。小栗風葉に師事し、雑誌「新潮」の編集者として活躍。また、同人誌「不同調」を創刊。評論「誰だ?花園を荒すものは!」、小説「地霊」など。
【建武】 けんむ
南北朝時代、南朝の後醍醐天皇の時の年号。1334年1月29日~1336年2月29日。北朝では光明天皇のときの年号。1334年1月29日~1338年8月28日。
【建武以来追加】 けんむいらいついか
室町幕府の法令集。室町幕府は御成敗式目を基本法としたが、建武式目ののち、必要に応じて法令を追加した。
【建武式目】 けんむ‐しきもく
延元元年=建武3年(1336)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が示した室町幕府の政治要綱。17か条からなる。中原是円・真恵らに諮問して政治方針をまとめさせたもの。
【建武年間記】 けんむねんかんき
室町初期の記録書。1巻。著者・成立年未詳。建武政府が発布した法令や、建武政権下の世相を風刺した「二条河原の落書」などを収める。建武記。
【建武年中行事】 けんむねんじゅうぎょうじ
南北朝時代の有職故実書。3巻。後醍醐天皇撰。建武元年(1334)成立。朝廷における年中行事を記した書。秘記。御抄。
【建武の中興】 けんむ‐の‐ちゅうこう
元弘3年=正慶2年(1333)、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して京都に還幸し、天皇親政を復活したこと。翌年建武と改元して公家一統の政治を図ったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)の離反にあい、2年半で崩壊、天皇は吉野に移って南北朝時代となる。建武の新政。
【宮武】 みやたけ
姓氏の一。
【武烈天皇】 ぶれつ‐てんのう
記紀で、第25代の天皇。仁賢天皇の皇子。名は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかさざき)。日本書紀では凶暴な天皇として描かれている。
【日本武尊/倭建命】 やまとたける‐の‐みこと
記紀伝説上の英雄。景行天皇の皇子。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)、東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれ、風土記なども含めてさまざまな伝説が残っている。小碓命(おうすのみこと)。
【桓武平氏】 かんむ‐へいし
桓武天皇の子孫で、平(たいら)の姓を賜った家系。中でも葛原(かつらばら)親王の孫高望王(たかもちおう)の流れが有名で、伊勢平氏や北条氏・畠山・千葉・三浦・梶原などの諸氏を輩出。
【古武弥四郎】 こたけ‐やしろう
[1879~1968]医学者。岡山の生まれ。ドイツに留学。大阪大教授。必須アミノ酸のトリプトファンの中間代謝を研究。日本の生化学の基礎を築いた。
【天武天皇】 てんむ‐てんのう
[?~686]第40代の天皇。在位673~86。舒明天皇の第3皇子。名は大海人(おおあま)。母は皇極(斉明)天皇。兄の天智天皇の子の大友皇子が太政大臣になると皇太子の地位を去り、吉野に隠退。天智天皇没後、皇子を争って大友皇子を打倒(壬申の乱)。乱後、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位。八色(やくさ)の姓(かばね)の制定や国史の編纂(へんさん)などにより律令体制を整備した。
【聖武天皇】 しょうむ‐てんのう
[701~756]第45代天皇。在位724~49。文武天皇の第1皇子。名は首(おびと)。藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘光明子を皇后とした。仏教を保護し、東大寺のほかに、諸国に国分寺・国分尼寺を建立。遺品は正倉院御物として現存。
【桓武天皇】 かんむ‐てんのう
[737~806]第50代天皇。在位、781~806。光仁天皇の第1皇子。諱は山部。長岡京・平安京への遷都、蝦夷(えぞ)征討、最澄・空海の登用による平安仏教の確立、地方政治振興など内政面の業績が多い。柏原天皇。
【藤島武二】 ふじしま‐たけじ
[1867~1943]洋画家。鹿児島の生まれ。初め日本画、のち洋画を学び、東洋的人物画の完成に努め、晩年は日本的風景画の作品を描いた。白馬会創立会員。文化勲章受章。
【藤原武智麻呂】 ふじわら‐の‐むちまろ
[680~737]奈良初期の公卿。不比等(ふひと)の長男。南家の祖。大納言・右大臣などを経て左大臣になったが、疫病で死亡。
【田部武雄】 たべ‐たけお
[1906~1945]野球選手。広島の生まれ。明大で活躍後、大日本東京野球倶楽部(クラブ)(巨人の前身)に参加。昭和10年(1935)の米国遠征では109試合で105盗塁の活躍をするが、のち巨人の内紛により退団。プロ公式戦の記録は存在しない。沖縄で戦死。
【武井武雄】 たけい‐たけお
[1894~1983]童画家・版画家。長野の生まれ。「童画」という名称の創始者で、初期童画界の代表者の一人。
【河合武雄】 かわい‐たけお
[1877~1942]新派俳優。東京の生まれ。本名、内山武次郎。女形として活躍し、美貌とはでな芸風で人気を集めた。
【神崎武雄】 かんざき‐たけお
[1906~1944]小説家。福岡の生まれ。新聞社に勤務した後、同時代を描いた大衆小説を執筆。「寛容」およびその他の作品で直木賞受賞。昭和19年(1944)、従軍中に戦死した。
【松浦武四郎】 まつうら‐たけしろう
[1818~1888]江戸末期の探検家。伊勢の人。名は弘(ひろむ)。幼時より諸国を巡歴し、特に蝦夷(えぞ)地に関心を持ち、しばしば訪れて多数の紀行文や地図を残した。著「蝦夷日誌」など。
【三木武夫】 みき‐たけお
[1907~1988]政治家。徳島の生まれ。昭和12年(1937)以来衆議院議員に連続当選。保守傍流ながら、金脈問題で退陣した田中角栄首相のあとを受けて同49年組閣、ロッキード事件の真相糾明を掲げたが、自民党内右派の反発で退陣。→福田赳夫
【三木武吉】 みき‐ぶきち
[1884~1956]政治家。香川の生まれ。衆議院議員を長く勤め、第二次大戦後は日本自由党の結成に参画。日本民主党を結成し、鳩山内閣の実現に尽力。のち、自由民主党の結成を推進。
【宮武外骨】 みやたけ‐がいこつ
[1867~1955]ジャーナリスト・文化史家。香川の生まれ。本名、亀四郎。大阪で「滑稽新聞」を発行、風俗史・政治裏面史で多数の著作を残した。東大の明治新聞雑誌文庫主任として同文庫の充実に尽力。著「筆禍史」など。
【宮武三郎】 みやたけ‐さぶろう
[1907~1956]プロ野球選手・評論家。香川の生まれ。昭和11年(1936)阪急(オリックスの前身)の創立に際し、29歳で入団。3年間の選手生活を経て、引退後は野球評論家となった。
【武藤山治】 むとう‐さんじ
[1867~1934]実業家・政治家。愛知の生まれ。鐘淵紡績社長。のち、政界浄化を志して実業同志会を組織し、衆議院議員となる。「時事新報」社長。政界革新を主張し、暗殺された。
【武者小路実篤】 むしゃのこうじ‐さねあつ
[1885~1976]小説家・劇作家。東京の生まれ。トルストイに傾倒し、志賀直哉らと雑誌「白樺」を創刊。のち人道主義の実践場として「新しき村」を建設。文化勲章受章。小説「お目出たき人」「幸福者」「友情」「真理先生」、戯曲「人間万歳」など。
【神田乃武】 かんだ‐ないぶ
[1857~1923]英語学者・教育者。江戸の生まれ。日本の英語学の発達に尽力し、辞書・教科書を著した。正則予備校の創立者。貴族院議員。
【武蔵山武】 むさしやま‐たけし
[1909~1969]力士。第33代横綱。神奈川県出身。本名、横山武。優勝1回。→第32代横綱玉錦 →第34代横綱男女ノ川(みなのがわ)
【武蔵丸光洋】 むさしまる‐こうよう
[1971~]力士。第67代横綱。米国ハワイ州出身。生まれは米国領サモア。英語名、フィヤマル‐ペニタニ。幕内49場所連続勝ち越しを記録。平成 8年(1996)日本国籍を取得。同15年引退。優勝12回。→第66代横綱若乃花 →第68代横綱朝青龍(あさしょうりゅう)
【武蔵坊弁慶】 むさしぼう‐べんけい = 【弁慶/辨慶】 べんけい
[?~1189]鎌倉初期の僧。幼名、鬼若。号、武蔵坊(むさしぼう)。義経記・吾妻鏡・平家物語などによれば、熊野の別当の子で、兄頼朝と不和になり奥州に落ちる源義経に従い、安宅(あたか)の関での難を救い、衣川の戦で全身に矢を受けて立ちながら息絶えたと伝えられる。能・歌舞伎・浄瑠璃などに英雄豪傑として描かれる。
【宮本武蔵】 みやもと‐むさし
[1584ころ~1645]江戸初期の剣術家。播磨(はりま)あるいは美作(みまさか)の人。名は玄信。号、二天。剣の修行のため諸国を巡り、二刀流を編み出し、二天流と称した。佐々木巌流との試合に勝ち、晩年は一時熊本藩主細川家に仕えた。水墨画にも長じた。著「五輪書」。
【小田野直武】 おだの‐なおたけ
[1749~1780]江戸中期の洋風画家。秋田藩士。平賀源内に西洋画法を学び、のち江戸で活躍。「解体新書」の挿絵を描いた。
【岡田武松】 おかだ‐たけまつ
[1874~1956]気象学者。千葉の生まれ。長く中央気象台長を務め、日本の気象観測制度を確立。文化勲章受章。著「日本気候論」など。
【芥田武夫】 あくた‐たけお
[1903~1987]野球選手・監督。兵庫の生まれ。早大野球部で活躍。卒業後、満鉄に入社し、都市対抗野球で優勝。のち朝日新聞社に入り、戦後、全国中等学校野球連盟(高野連の前身)の結成に貢献。近鉄パールス(オリックスの前身)の監督も務めた。
【荒木田守武】 あらきだ‐もりたけ = 【守武】 もりたけ
[1473~1549]室町後期の連歌・俳諧師。伊勢内宮の神官。宗祇(そうぎ)、猪苗代兼載(いなわしろけんさい)に連歌を学び、連歌から俳諧を独立させる基を作った。著「俳諧独吟百韻」「守武千句」など。
【有島武郎】 ありしま‐たけお
[1878~1923]小説家。東京の生まれ。有島生馬・里見T5F34.gifの兄。「白樺」の創刊に参加。大正12年(1923)「宣言一つ」に自己の立場を表明したのち、愛人と情死。作「或る女」「生れ出づる悩み」「カインの末裔」「惜みなく愛は奪ふ」など。
【飯田武郷】 いいだ‐たけさと
[1827~1900]幕末・明治の国学者。信濃国高島藩士。平田篤胤(ひらたあつたね)没後その門に入り、尊王運動にも参加。著「日本書紀通釈」など。
【色川武大】 いろかわ‐たけひろ/ぶだい
[1929~1989]小説家。東京の生まれ。阿佐田(あさだ)哲也のペンネームで麻雀小説を執筆。その後、本名で発表した「離婚」で直木賞受賞。純文学と娯楽文学の両方を手がけて「戦後無頼派」と評された。他に「怪しい来客簿」「百」「狂人日記」など。
【卜部季武】 うらべ‐の‐すえたけ
[950~1022]平安中期の武士。通称、六郎。源頼光の四天王の一人。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)征伐で有名。
【榎本武揚】 えのもと‐たけあき
[1836~1908]政治家。通称釜次郎。江戸の人。オランダに留学。帰国後、幕府の海軍奉行となる。戊辰(ぼしん)戦争では箱館の五稜郭(ごりょうかく)にこもり、政府軍と交戦するが降伏。特赦され、北海道開拓使となる。のち、ロシアとの間で樺太(からふと)・千島交換条約を締結。文部・外務などの各大臣を歴任。
【阿武松緑之助】 おうのまつ‐みどりのすけ
[1791~1852]江戸後期の力士。第6代横綱。能登(のと)の人。本名、佐々木長吉。優勝5回。→第5代横綱小野川 →第7代横綱稲妻
【文武天皇】 もんむ‐てんのう
[683~707]第42代天皇。在位697~707。草壁皇子の王子で、母は元明天皇。名は珂瑠(かる)。大宝律令を制定、施行。
【菊池武重】 きくち‐たけしげ
[?~1341]南北朝時代の武将。肥後の人。武時の長男。肥後守。足利尊氏(あしかがたかうじ)が建武政府に反したとき、新田義貞に従って箱根で奮戦。のち、九州に帰り、南朝軍の中心として戦った。
【菊池武時】 きくち‐たけとき
[?~1333]鎌倉末期の武将。肥後の人。後醍醐天皇の隠岐(おき)脱出に呼応し、博多の鎮西探題(ちんぜいたんだい)北条英時(ほうじょうひでとき)を攻めたが、少弐貞経(しょうにさだつね)・大友貞宗の離反により敗死した。
【菊池武朝】 きくち‐たけとも
[1363~1407]南北朝時代の武将。肥後の人。武光の孫。初名、武興。征西将軍良成親王を立てて今川了俊と各地で戦い、南朝勢力の回復に努めたが、のち、衰退した。
【菊池武光】 きくち‐たけみつ
[?~1373]南北朝時代の武将。肥後の人。武時の子。征西将軍懐良(かねなが)親王を迎え、少弐頼尚(しょうによりひさ)・少弐頼国を破って大宰府を占領したが、のち、九州探題今川了俊に圧迫されて衰えた。
【北原武夫】 きたはら‐たけお
[1907~1973]小説家。神奈川の生まれ。宇野千代と結婚、スタイル社を創業するが、のちに離婚。著書に小説「妻」「桜ホテル」「情人(じょうにん)」、評論「告白的女性論」など。
【清原武則】 きよはら‐の‐たけのり
平安後期の武将。出羽の俘囚(ふしゅう)の長。前九年の役で、安倍貞任・宗任討伐に苦しむ源頼義・義家を助けて活躍。鎮守府将軍に任じられた。以後、陸奥・出羽に勢力を得る。生没年未詳。
【清原武衡】 きよはら‐の‐たけひら
[?~1087]平安後期の武将。武則の子。後三年の役で、家衡とともに清衡・源義家の軍と争い、金沢柵で敗れ、殺された。
【九条武子】 くじょう‐たけこ
[1887~1928]歌人。京都の生まれ。西本願寺の大谷光尊の次女。佐佐木信綱に学び、歌集に「金鈴」「白孔雀」などがある。
【久米邦武】 くめ‐くにたけ
[1839~1931]歴史学者。佐賀の生まれ。岩倉具視に従って欧米を視察。古代史の科学的研究に努めた。論文「神道は祭天の古俗」が神道家から攻撃されて東大教授を辞職。著「米欧回覧実記」「古文書学講義」など。
【倉石武四郎】 くらいし‐たけしろう
[1897~1975]中国語学者。新潟の生まれ。京大・東大教授。中国語の研究・教育に新しい方向を与えた。著「中国語五十年」「漢字の運命」など。
【桑原武夫】 くわばら‐たけお
[1904~1988]仏文学者・評論家。福井の生まれ。隲蔵(じつぞう)の子。西欧的知性や近代的精神に基づいた評論が多く、京都大学人文科学研究所の学際的な共同研究を推進した。文化勲章受章。著「第二芸術‐現代俳句について」「文学入門」など。
【鹿野武左衛門】 しかの‐ぶざえもん
[1649~1699]江戸前期の落語家。大坂の人。通称、安次郎。江戸へ出て、仕方噺(しかたばなし)で人気を博し、江戸落語の祖とされた。著「鹿の巻筆」「鹿野武左衛門口伝咄」など。
【神武】 じんむ
神武天皇のこと。
【神武天皇】 じんむ‐てんのう
記紀で、第1代の天皇。名は神日本磐余彦(かんやまといわれびこ)。日向(ひゅうが)を出て瀬戸内海を東へ進み、大和を平定して前660年橿原宮(かしはらのみや)で即位したと伝えられる。
【神武紀元】 じんむ‐きげん
神武天皇が即位したという年を元年とする日本の紀元。西暦紀元前660年を神武紀元元年とする。皇紀。
【神武此の方】 じんむ‐このかた
[連語]日本の国が始まって以来。程度のはなはだしいことや、他に例がないことなどを表す。神武以来。神武以往。「―聞いたこともない好景気」
【神武寺】 じんむ‐じ
神奈川県逗子(ずし)市にある天台宗の寺。山号は医王山。神亀年間(724~729)行基の創建と伝える。中興は円仁。源氏3代の信仰を集めた。
【神武天皇祭】 じんむてんのう‐さい
もと、大祭日の一。毎年、神武天皇崩御の日とされる4月3日に、皇霊殿で天皇がその霊を祭る。神武祭。
【武島羽衣】 たけしま‐はごろも
[1872~1967]歌人・詩人・国文学者。東京の生まれ。本名、又次郎。古典主義的な美文・韻文で知られ、「花」「天然の美」は広く愛唱されている。共著「美文韻文花紅葉」など。
【武田勝頼】 たけだ‐かつより
[1546~1582]戦国時代の武将。信玄の子。父の没後、その領国を継いで織田・徳川と対立。長篠(ながしの)の戦いに大敗。織田信長に攻められて天目山麓で自刃。
【武田耕雲斎】 たけだ‐こううんさい
[1803~1865]江戸末期の勤王家。水戸藩士。名は正生。徳川斉昭(とくがわなりあき)に仕え、家老。尊攘派の筑波山挙兵を助け、天狗(てんぐ)党の首領となり、同志を率いて上洛の途中、加賀藩に降伏。敦賀(つるが)で斬首された。
【武田信玄】 たけだ‐しんげん
[1521~1573]戦国時代の武将。名は晴信。信玄は法名。父信虎を廃して甲斐(かい)の守護となり、信濃一円を制し、上杉謙信と対立、数度に及び川中島で合戦。のち、京都進出を企てて三方ヶ原で徳川家康を破り、三河に入ったが、陣中で病死。「信玄家法」の制定、信玄堤の名で知られる治水工事など、領国経営にも尽くした。
【武田泰淳】 たけだ‐たいじゅん
[1912~1976]小説家。東京の生まれ。「蝮(まむし)のすゑ」などによって戦後派作家として注目され、以後、現実の社会問題と取り組んだ作品が多い。小説「風媒花」「ひかりごけ」「森と湖のまつり」「富士」、評伝「司馬遷」など。
【武田孟】 たけだ‐つとむ
[1896~1990]教育者・野球指導者。広島の生まれ。昭和27年(1952)明大の野球部長となり、33年同大学長。のち全日本大学野球連盟会長、日本学生野球協会会長を歴任。学生野球の発展に尽力した。
【武田祐吉】 たけだ‐ゆうきち
[1886~1958]国文学者。東京の生まれ。厳密な文献学的方法に基づいて万葉集などの上代文学を研究、多くの校訂や考証を行った。著「上代国文学の研究」など。
【武田麟太郎】 たけだ‐りんたろう
[1904~1946]小説家。大阪の生まれ。新感覚派的手法による小説「暴力」で作家として出発、のち市井(しせい)の庶民の生態を描いた「日本三文オペラ」などを発表。雑誌「人民文庫」を主宰。ほかに「銀座八丁」「一の酉(とり)」「井原西鶴」など。
【武市瑞山】 たけち‐ずいざん
[1829~1865]幕末の尊攘派志士。土佐の人。通称、半平太。郷士の子で、土佐勤王党を組織。吉田東洋らの佐幕開国論に対抗。東洋を暗殺し、一時藩論を尊攘に導いたが、藩主山内容堂に入れられず、切腹を命じられた。
【武野紹鴎】 たけの‐じょうおう
[1502~1555]室町後期の富商・茶人。堺の人。号、一閑居士・大黒庵。歌学を三条西実隆に学ぶ。茶の湯では村田珠光の孫弟子にあたり、佗(わ)びの境地を確立、千利休・津田宗及・今井宗久らの門弟を養成した。
【武信由太郎】 たけのぶ‐よしたろう
[1863~1930]英語学者。鳥取の生まれ。英字新聞「ジャパンタイムズ」「英語青年」を創刊。海外への日本紹介に努めた。著「武信和英大辞典」。
【武渟川別命/建沼河別命】 たけぬなかわわけ‐の‐みこと
孝元天皇の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御子。日本書紀によれば崇神天皇の四道将軍の一人と伝えられる。阿部臣(あべのおみ)らの祖。
【武内宿禰】 たけのうち‐の‐すくね
記紀所伝の人物。大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に二百数十年仕えたという。蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖とされる。たけのうちのすくね。
【福永武彦】 ふくなが‐たけひこ
[1918~1979]小説家。福岡の生まれ。加田伶太郎の筆名で推理小説も執筆。小説「風土」「海市」「死の島」など。
【盧武鉉】 ノ‐ムヒョン
[1946~ ]韓国の第16代大統領。慶尚南道出身。弁護士。1988年国会議員に初当選。2000年海洋水産部長(大臣)。02年インターネットを通じた市民運動に支持されて大統領選挙に勝利し、翌年2月に就任。北朝鮮に融和的な政策を進める。
【林武】 はやし‐たけし
[1896~1975]洋画家。東京の生まれ。本名、武臣(たけおみ)。独立美術協会の設立に参加。フォービスムを基調として、重厚なマチエール、明確な構図の具象画を描いた。文化勲章受章。
【広瀬武夫】 ひろせ‐たけお
[1868~1904]軍人。海軍中佐。大分の生まれ。日露戦争中、旅順港閉鎖にあたり、自沈船の福井丸を指揮し、行方不明の杉野孫七兵曹長を退避の最後まで捜すうち、ボート上で被弾戦死。軍神とうたわれた。
【徳川宗武】 とくがわ‐むねたけ = 【田安宗武】 たやす‐むねたけ
[1715~1771]江戸中期の国学者・歌人。徳川吉宗の子。田安家を興す。荷田在満(かだのありまろ)・賀茂真淵(かものまぶち)を召し抱えて国学を学ぶ。万葉調の歌人としても有名。著「歌体約言」「天降言(あもりごと)」など。
【中野武二】 なかの‐たけじ
[1884~1947]野球選手・審判。東京の生まれ。一高主将として活躍したのち、同校のコーチとなる。公正な審判員としても評価され、早慶戦や国際試合で主審を務めた。
【中村武羅夫】 なかむら‐むらお
[1886~1949]小説家・評論家。北海道の生まれ。小栗風葉に師事し、雑誌「新潮」の編集者として活躍。また、同人誌「不同調」を創刊。評論「誰だ?花園を荒すものは!」、小説「地霊」など。
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