禹湯文武】 う‐とう‐ぶん‐ぶ
  古代中国の明君である、夏(か)の禹王、殷(いん)の湯王、周の文王・武王。
武王】 ぶ‐おう
  中国、周王朝の創始者。姓は姫(き)。名は発。文王の子。父の没後、紂王(ちゅうおう)を討って殷(いん)を滅ぼし天下を統一、鎬京(こうけい)を都として即位。封建制度を創始。
漢武】 かん‐ぶ
  中国、前漢の武帝のこと。
武帝】 ぶ‐てい
1 [前156~前87]中国、前漢第7代の皇帝。在位、前141~前87。廟号(びょうごう)、世宗。名は劉徹。高祖劉邦の曾孫。儒教を公認し、中央集権体制を強化。外征を行って領域を拡大し、東西交渉を盛んにした。
2 [464~549]中国、南朝の梁(りょう)の初代皇帝。在位502~49。廟号、高祖。姓名は蕭衍(しょうえん)。南斉を滅ぼし、梁を建国。仏教史上での黄金時代を作ったが、侯景の乱にあい、争乱の中で病没。
洪武】 こうぶ
  中国、明の太祖(洪武帝)時代の年号。1368年~1398年。
洪武銭】 こうぶ‐せん
  中国の洪武年間に作られた銅銭。日本へも室町末期に移入され、永楽銭などとともに広く通貨として使用された。洪武通宝。
洪武帝】 こうぶ‐てい = 【朱元璋】 しゅ‐げんしょう
  [1328~1398]中国、明朝初代の皇帝。在位1368~98。廟号は太祖。在位年号により洪武帝ともいう。紅巾(こうきん)軍の一兵卒から身を起こし、華中を支配。続いて元軍を追って全国を統一。明朝300年の基をつくった。
光武帝】 こうぶ‐てい = 【劉秀】 りゅう‐しゅう
  [前6~後57]中国、後漢の初代皇帝。在位25~57。字(あざな)は文叔。諡(おくりな)は光武帝。廟号(びょうごう)は世祖。前漢の高祖9世の孫。23年、王莽(おうもう)の大軍を昆陽で破り、河北・山東一帯を平定し、25年、帝位について漢を再興。洛陽に都した。赤眉(せきび)の乱を平定して天下を統一、善政をしき儒学を奨励して後漢王朝の基礎を築いた。
太武帝】 たいぶ‐てい
  [408~452]中国、北魏第3代の皇帝。在位423~52。宰相の崔浩の補佐を得て、南朝と修交に努め、華北統一を完成。
道武帝】 どうぶ‐てい
  [371~409]中国、北魏の初代皇帝。在位386~409。廟号(びょうごう)は太祖。本名は拓跋珪(たくばつけい)。鮮卑の拓跋部の出身で、匈奴・後燕を討滅し、華北を統一。平城(山西省)に都して、中国の官制・文化を取り入れ、北魏の基礎を確立。
武后】 ぶ‐こう【則天武后】 そくてん‐ぶこう
  [624~705]中国、唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝。在位690~705。姓は武。名は曌。高宗の没後、子の中宗、弟の睿宗を廃立。唐の皇族・功臣らを滅ぼし、同族を重用、自ら帝位に就き、国号を周とした。クーデターで中宗が復位し、唐が再興したのち、病死。
顧炎武】 こ‐えんぶ
  [1613~1682]中国、明末・清初の思想家・学者。崑山(こんざん)(江蘇省)の人。字(あざな)は寧人。号、亭林。その学問は経世を目的とし、歴史・地理・制度史・経学・音韻訓詁(くんこ)など多方面にわたり、清朝考証学の祖とされる。著「日知録」「天下郡国利病書」「音学五書」など。
董必武】 とう‐ひつぶ
  [1886~1975]中国の政治家。湖北省出身。1921年中国共産党の創立に湖北省代表として参加。長征に参加し、第二次国共合作期には、共産党代表として周恩来らと武漢・重慶に駐在した。中華人民共和国成立とともに国家副主席、全国人民大会代表など要職を歴任。72年国家主席代理となる。トン=ピーウー。
蘇武】 そ‐ぶ
  [前140ころ~前60]中国、前漢の武将。杜陵(とりょう)(陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は子卿(しけい)。匈奴(きょうど)に使節として行き、19年間抑留されたが、節を守りとおして帰国した。→雁(かり)の使い
孫武】 そん‐ぶ
  中国、春秋時代の兵法家。斉(山東省)の人。呉王の闔閭(こうりょ)に仕え、その功を助けた。呉起とともに兵法の祖といわれる。→孫子
三武一宗】 さんぶ‐いっそう
  中国で、仏教を弾圧した四人の天子。北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗。


武陵桃源】 ぶりょう‐とうげん
  世間とかけ離れた平和な別天地。桃源。桃源郷。陶淵明(とうえんめい)「桃花源記」によると、晋(しん)の太元年間に、湖南武陵の人が桃林の奥の洞穴の向こうに出てみると、秦末の戦乱を避けた人々の子孫が住む別天地があって、世の変遷も知らずに平和に暮らしていたという。
玄武】 げん‐ぶ
  四神の一。天の北方の守護神で、カメの甲に蛇が巻きついた形に表す。げんむ。
玄武旗】 げんぶ‐き
  四神旗の一。玄武を描いた旗。げんむき。
武昌】 ぶしょう
  中国、湖北省武漢市の地名。揚子江南岸にあり、もと武漢三鎮の一。辛亥革命の勃発の地。ウーチャン。
武漢】 ぶかん
  中国、湖北省の省都。武昌・漢陽・漢口の3市が1949年に統合されて成立。漢水と揚子江の合流点に位置し、古来水上交通の要地。工業が盛ん。人口、行政区329万、都市圏427万(1982)。ウーハン。
武漢国民政府】 ぶかん‐こくみんせいふ
  1927年、国民革命軍の武漢占領とともに、汪兆銘ら中国国民党左派と共産党によって樹立された臨時政権。蒋介石の南京政府と対立。のち共産党を排除して、南京政府に合流。
武漢三鎮】 ぶかん‐さんちん
  《「鎮」は中心都市の意》武昌・漢口・漢陽3市の総称。武昌は政治、漢口は商業、漢陽は工業の要衝地。現在は合併して武漢市を構成。