华国锋去世

我对华国锋其人所知甚少,以为他早已不在。
昨天惊讶地看到日本新闻在头条下面的位置看到了关于他去世的新闻,再去新浪一搜,在一堆文字中很不起眼的一个位置——这就是政治吧。

朝日新闻


 【北京=藤原秀人】中国国営新華社通信によると、毛沢東主席の後継者として中国共産党主席などを務め、文化大革命を推進した江青・毛夫人ら「四人組」の逮捕にも尽力した華国鋒氏が20日、病気のため北京で死去した。87歳だった。



 新華社は「優秀な党員で、長きにわたり試練に耐え抜いた忠実な共産主義戦士」と伝えたが、78年にトウ(トウは登におおざと)小平氏との権力闘争に敗れた後は、急速に影響力を失っていた。



 山西省出身。本名は蘇鋳だが、抗日戦争に参加した際の「中華抗日救国先鋒隊」から名前をとったとされる。湖南省での農業面での活動などで毛氏の評価を得
た。周恩来首相死去直後の76年4月、毛氏の指名で首相に就任。毛氏から受け取ったという「あなたがやれば安心だ」というメモを後継者の証しにした。


 毛氏が76年9月に死去した後、四人組の逮捕に踏み切り、同年10月に党主席と中央軍事委員会主席に就任し、中国のトップになった。しかし「毛氏
の決定はすべて断固として擁護し、毛氏の指示はすべて守る」という「二つのすべて」という路線は、是々非々の立場から毛氏を評価し直そうとしたトウ氏との深刻な対立を招き、結局はトウ氏との闘争に敗れた。逆にトウ氏は78年12月の第11期中央委員会第3回全体会議(3中全会)で、改革開放路線を決定し、
経済発展の道を開いた。



 81年に党主席を辞任後も党中央委員にとどまったが、02年の第16回党大会で引退。昨年10月の第17回党大会に特別招待代表として姿を見せ、話題を呼んだ。



 80年5月に中国の首相として初めて日本を公式訪問。同年7月にも大平元首相の葬儀参列のため再訪日したが、9月には首相を退いた。