2008-08-13

今日昨日から未解決の問題をインターネットでよく調べ、更に石田さんに教えてもらってからもらい、昨日残っていた問題を解決しました。


勉強会で早川さんと「庄子」について話し合いました。
中国語で「庄」は「荘」の略字ですので、実際は、中国の古語でも日本語で「荘子」と書か表記されます。
以下はインターネットからコピーした「知魚楽」というストーリーの日本語版です。

知魚楽
荘子「秋水」の最後に次の一節があります。
ある時、荘子(そうし、紀元前四世紀頃)と恵子(けいし)が川のほとりを散歩していました。
恵子はものしりで議論の好きな人でした。

荘子:魚が水面に出てゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみだ。
恵子:君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。
荘子:君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。
恵子:僕は君でない。だからもちろん君のことはわからない。
   君は魚ではない。だから、君には魚の楽しみがわからない。
   僕の論法は完全無欠だろう。
荘子:ひとつ議論の根元にたちもどってみよう。
   君が僕に、君にどうして魚の楽しみがわかるか、と聞いた時には
   すでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知った上で聞いたのではないか。
   僕は濠水のほとりで魚の楽しみがわかったのだ。