▼人の数だけ、戦争があった。兵士50人の手記を編んだ『父の戦記』が、先ごろ朝日文庫から復刊された。1965年に週刊朝日が募ったものだ。中に、南仏印のサイゴンで終戦を迎えた元中尉の作がある
数    かず    兵士   へいし    手記   しゅき
編む   あむ    戦記   せんき    復刊   ふっかん
募る   つのる   仏印   ふついん   サイゴン Saigon
元中尉  もとちゅうい

只要人一多,就会有战争。由50个士兵的手记编集而成的《父亲的战记》,近日由朝日文库重新出版了。这是1965年由周刊朝日征募的。其中有在南法领印度的西贡迎来终战的原中尉的作品。

▼その日、兵舎では激論と痛飲が繰り返されたという。住民に加勢し、フランス軍と戦おうとする者もいた。逃亡、自決、抑留。何が正義で、何が卑劣か見えぬまま、隊長として全隊70人を集める。日本刀を抜いて、叫んだ
兵舎    へいしゃ   激論    げきろん  痛飲    つういん
繰り返す  くりかえる  住民    じゅうみん 加勢    かせい
戦う    たたかう   逃亡    とうぼう  自決    じけつ
抑留    よくりゅう  正義    せいぎ   卑劣    ひれつ
隊長    たいちょう  叫ぶ    さけぶ

说是那一天在兵营中重复着激烈的辩论和痛饮。有人打算帮助当地居民与法军一战。或者逃亡、或者自杀、或者被扣。看不清什么是正义什么是卑劣的情况下,作为队长的人集合了全队70人。拔出日本刀,喊道:

▼〈我々が一刻も早く帰還しなければ、敗戦の祖国は一体どうなるのだ。一時の感情に走って道を誤るな。逃亡する奴は俺が斬る〉。手記には「自分の行動が無性に腹立たしく、恥ずかしくさえ思われた」とある
我々    われわれ  一刻    いっこく   帰還    きかん
敗戦    はいせん  祖国    そこく    一時    いちじ
誤る    あやまる  奴     やつ     斬る    きる
無性    むしょう  腹立つ   はらだつ  一体    いったい

“我们如果早点不回国的话,败战的祖国空间会变成怎么样。不可以因一时顺着感情走而弄错道路。逃亡的人我会斩杀他。”手记里有这样的话:“被认为自我行动是无佛性令人气愤的令人羞愧的”。

▼過日、別の手記が公開された。終戦の直前、東条英機元首相が心境などを残した直筆メモだ。「もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者および国民の無気魂」と、悔しさを時の政府や国民にぶつけている。「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰をぬかし」など、随所に徹底抗戦への未練ものぞく
過日   かじつ   直前   ちょくぜん  東条英機 とうじょう・ひでき
心境   しんきょう 直筆   じきひつ   脅威   きょうい
脅える  おびえる  至る   いたる    如き   ごとき
気魂   きこん   悔しい  くやしい   随所   ずいしょ
未練   みれん   挙ぐる  ■■■■

前些日子,另外的手记被公开了。就在终战前,留有前首相东条英机的心情等的亲笔记录。“一下子就被敌人的威胁给吓住了,就像到了简单地举举手这种程度一样,国家领导和国民都没有精神了”,(这话)向陷入懊恼期的政府和国民投去。“受制于原子弹、苏联的参战”等等,到处都可以看出对彻底抗战的留恋。

▼「新爆弾」にやられた広島と長崎をはじめ、国土は焼け、民は窮乏を極めていた。外地では、補給を断たれた兵が銘々の処し方を問われた。この期に及んで戦争を正当化するメモは、戦後の感覚からは読むに堪えない
国土  こくど    民   たみ    窮乏  きゅうぼう
極める きわめる   外地  がいち   補給  ほきゅう
断つ  たつ     銘銘  めいめい  処す  しょす
期   ご      正当化 せいとうか 堪える たえる

由被原子弹所毁的广岛和长崎开始,国土战火高燃,国民穷乏已极。在国外,补给断绝的士兵一个个都被问处理办法。在这个时期提及的把战争正当化的笔记,用战后的感觉看来,简直不忍卒读。

▼元中尉の戦争と東条の戦争。誰を主人公とするかで、一つの史実も別の物語になる。昭和という時の巨木に生い茂った、何億もの慟哭の葉。勇ましいだけの裸木に戻さぬよう、一枚一枚、静かに語り継ぎたい。
主人公    しゅじんこう   史実     しじつ      巨木     きょぼく
生い茂る   おいしげる   慟哭     どうこく     勇ましい   いさましい
裸木     はだか・ぎ    語り継ぐ   かたりつぐ

前中尉的战争和东条的战争,把哪个作为主人公的话,它的史实就使一个成了故事。名为昭和的时候“大树”茁壮成长,而数达几亿的恸哭的“叶子”。不回到只有勇敢的“裸树”的样子,一枚一枚,静静地想继续述说。